”批判力”の低下について(2005.10.3毎日新聞朝刊)

本日の毎日新聞朝刊2面に、政治資金規正法の話が載っていました。
政党の本部に支部解散権を持たせる方向らしい。
お金の流れをクリアーにする必要はあります。財の配分についての決定を下すのが政治なわけですから、お金については特にクリアーでクリーンでなければなりません。
 
が、ここで2点注意しておきましょう。
まず1点目。上の動きは元々は自民党の党内争いだということです。
郵政に反対した議員が自民党のお金を使えるというようなことを無くしたいらしい。そういう視点で政治全体に関わることを決めていいのかどうか。
次に2点目。結局”報復”に使われるのではないか、ということです。
郵政で反対がいろいろありましたが、もし反対を無くしたいのであれば、議論して反対者を説き伏せればいいのです。これこそリーダシップだと思いますが、今の流れは議論とかじゃなくて、報復しちゃえばいいということです。報復をベースに政治が行われていいはずはありますまい。
 
さて、上記に関連してかしないでか、同2面の「発信箱」というコーナーで毎日新聞編集局の山口孝男さんのエッセイが載っていました。小泉首相が独裁的かどうか、っていうのがタイトルで、独裁的ではないとするのがその内容。
小泉首相は人権侵害を行ったりしているわけではないので、確かに独裁という言い方はおかしいでしょう・・・って、そういう問題ではないのです。このブログでも何回か言ってきましたが、与党で衆院の3/2を取ったということの意味をもっと考えるべきなのです。数は力であり、何でも出来かねないわけですから、よりいっそう政権への批判を行わなければなりません。またそれがマスコミの役割のハズです。山口孝男さんはその点を見落としているのではないでしょうか。
 
はじめの段落で述べたように、政治家は”報復”をベースとし、批判を押さえ込もうとしています。そして次の段落で述べたように、マスコミは批判を忘れている。いずれにおいても、”批判力”が低下してしまっているようです。
 
批判を押さえ込むことなく、批判の声をあげ忘れることなく。
ここで声高に主張するものであります。


 

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