エドガー フォイヒトヴァンガー『隣人ヒトラー: あるユダヤ人少年の回想』

エドガー フォイヒトヴァンガー『隣人ヒトラー: あるユダヤ人少年の回想』を読みました。

後に歴史家となる、ヒトラーの家の前に住んでいた少年の回想録です。
無茶苦茶に面白い!ヒトラーとナチスがどのように支持を広げ政権を取っていったか、人々はそれをどのように受け止めたのか、というのが両親や親戚、友人たちとのやり取りから浮かび上がってきます。

最後のシーンは鳥肌が立ってしまいました。
歴史好きには強くおすすめしますし、こういうのはいつ何時も起こりうるので、今も今後も読みつがれていくべき本でしょう。

今年28冊目。
※図書館で借りた本。

山崎圭一『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

山崎圭一『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を読みました。

キャッチーなタイトルですが、確かにわかりやすいです。
これはオススメ。
とはいえ、世界史は範囲が広いので、一回読んだだけでは覚えきれません。何度も読むことにしよう。Kindle版を買ったので、いつでも読み返せるのがいいところ。

今年26冊目。

C.ウォルター・ホッジズ『絵で見るシェイクスピアの舞台』

C.ウォルター・ホッジズ『絵で見るシェイクスピアの舞台』を読みました。
 

 
市川市民アカデミーとして千葉商科大学で開かれた、譲原晶子さんの「ヨーロッパの劇場の形」という講義で紹介されていたので、読んだ次第となります。
 
シェイクスピアの頃の劇場がどのような形をし、どのような演劇が行われていたのかを、イラストとともに解き明かしていきます。
大きな柱が2つあって、演劇をする側はそれを活用してスムーズな場面転換を演出し、観る側は必要に応じて柱を避けながら観ていた(席の移動は自由だった)というところが、今とは全然違うところで、興味深かったです。
 
シェイクスピアの戯曲をすべて復習してから読むと更に面白いと思います。
 
今年2冊目。
※図書館で借りた本。

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ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を読みました。
 

 
有名な本。スペイン人によるインディオ殺戮がレポートされています。
著者については、今から見ると疑問もありますが(かなり一方的にキリスト教を広めようとしているので)、植民地の実態を国王に伝えようとした真摯な姿勢には心打たれます。解説がまた興味深く、本書は植民地主義への告発としてではなく、スペインを非難/攻撃するのに使われたらしい。正当に評価されるようになってきたのは最近のことのようです。
 
昔のことのように見えて、堤未果『(株)貧困大国アメリカ』と照らし合わせて読んでみると、今も征服/被征服の関係は、色々なところで続いているように見えます。目に見えた暴力ではなくても、経済的な力によって。
 
オススメ。
 
今年9冊目。
※図書館で借りた本。

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シュリーマン『古代への情熱―シュリーマン自伝』

 シュリーマン『古代への情熱―シュリーマン自伝』を読みました。
 
 
 
 シュリーマンについては子供の頃に歴史の漫画で読んだ気がします。
 やっと読んだ本。純粋な自伝は第一章のみですが、これだけでも読む価値ありだと思います。
 
 今年79冊目。

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チャック・コール+マービン・クローズ『サッカーが勝ち取った自由―アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち』

 チャック・コール+マービン・クローズ『サッカーが勝ち取った自由―アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち』を読みました。
 
 
 
 南アフリカで囚人が囚われられていたロベン島。そこで自発的に生まれたマカナサッカー協会。その歴史を追うルポルタージュです。
 めちゃくちゃに面白い!
 というか、南アフリカのアパルトヘイトの歴史を知らなさすぎました。本書で南アフリカの歴史を知ることができますし、何よりスポーツが何をもたらすのか、考えさせられます。南アフリカでは民主主義の学校と言ってもいいような役割を果たしたのでした。
 この本読んでたら南アフリカで開かれたワールドカップも観てたなあ。失敗失敗。
 
 オススメ。私の本棚(厳選)行き確定。
 
 今年35冊目。

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ジョン・ハーシー『ヒロシマ』

 ジョン・ハーシー『ヒロシマ』を読みました。
 
 
 
 戦後間もなく『ニューヨーカー』紙に掲載されて、その日のうちに30万部を売り切ったという、広島の悲惨さを米国に知らしめた著名なルポルタージュです。本書は明田川融によって訳しなおされるとともに、ルポで取り上げられた6人のその後を描いた「ヒロシマ その後」を加えた増補版です。ヒロシマの記憶が消え失せようとしている危機感で、法政大学出版会が再出版に踏み切ったのだそうです。
 筆致はいたって冷静です。
 第五福竜丸の悲劇を受けて原水爆禁止の動きが生まれたものの、日本政府は実験中止を米国に要求しなかったこと、原水爆禁止運動は“「いかなる国」問題”で分裂してしまったことなどを踏まえ、近年ヒロシマ・ナガサキの記憶が薄れていっていることを指摘し、本書出版の意義を改めて確認する明田川融のあとがきも必読です。
 
 今年56冊目。

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中島岳志『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』

中島岳志『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』を読みました。
 

 
インドから日本に亡命してきて、インドの独立運動に取り組んだ、ラース・ビハーリー・ボース(R・B・ボース)の伝記。読みやすいです。オススメ。
 
「終章」や「あとがき」で、著者のR・B・ボースに対する熱い思いが述べられています。
R・B・ボースの魅力を伝えるとともに、農村社会に理想を見て、近代都市社会を否定的に捉えるような思想には「ヨーロッパのオリエンタリストとの共犯関係」(p.224)があると指摘しています。
また、インドの宗主国であった英国を倒さねばらなないという観点から、日本帝国主義に警戒心を抱きながらも、日本政府を拠り所にしてインド独立運動を進めていくんですが、その中で日本に対する批判力を徐々に失っていった姿をも描き出しています。
 
頭山満、大川周明ら“アジア主義者”との連携も描かれています。
今まで不勉強で、頭山満、および彼が設立した玄洋社・黒龍会についてはよく知りませんでした。
本書では「心情的アジア主義者たち」として整理されています。
「日本的な忠義や礼節を重んじ、皇室に対して一定の敬意を有する人間」=「人民」による抵抗運動を行い、主権や権利を主張していこうとしました。その視野は日本のみならずアジアにまで拡大していきました。しかし、その「人民」観から零れ落ちるようなアジア人に対しては、「彼らが日本のアジア主義者たちの高潔な理想を理解しない」と、一方的に批判していくことになったのでした。
アジア人を内在的に理解していくことは出来なかったのです。
(引用は「3-2. アジア主義者との連携」p.126-131より)
 
本書を批判するならば「終章 近代日本のアジア主義とR・B・ボース」ですかね。記述は叙情的に過ぎ、竹内好や橋川文三との対比も、明らかに“足らない”感じ。枚数も考察も。この点不満でした。
 
ちなみに、表題にもなっているとおり、R・B・ボースは中村屋にかくまわれている時期があり、そこでインドカリーを作りました。その後、中村屋のメニューにもなりました。
 
ということで、新宿中村屋に行ってきました。お店は混んでました。
お店のインドカリーは結構お高いですね。
 
うーん。
 
ということで、レトルトのインドカリーにしました(おいおい)。
 

 
パッケージ裏面には「インド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースが、日本への亡命を手助けした創業者夫妻に心をこめてふるまった祖国のカリー」として紹介されています。
R・B・ボースの名はしっかりと刻まれているんだね。
 
で、これがインドカリー。
 

 
おいしい。
本格的です。スパイシーです。100円均一で売っているレトルトカレーとは違います。
本格的なカレー(カリー)を食べたい人にオススメです。
 
これまた私の本棚(厳選)行きだなあ。
 
今年2冊目。

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『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』

『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』を読みました。
 

 
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「イルゼ、あなた何回やられた?」「四回よ、あなたは?」「わかんないわ。輜重隊の兵隊に始まって少佐まで出世しなきゃいけなかったの」
(p.254)
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アントニー・ビーヴァーが序文。ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーが後書を担当しています。
アントニー・ビーヴァーは『ベルリン陥落1945』の著者。
ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーは、『冷戦から内戦へ』『国際大移動』を書いている人で、大学時代によく読みました。
著者はドイツ人女性ジャーナリストです。匿名を望んでいたので、著者名は伏せられています。
 
終戦時のベルリンを過ごした女性の日記でありまして、ソ連軍による婦女暴行が被害者の側から描かれています。
本書を読む限りでは、ドイツの男性達は特に抵抗しなかったように見えるのですが、そのように見られるのを好まなかったドイツ社会は「敵意と沈黙」で本書を迎えました(H・M・エンツェンスベルガー「ドイツ語版編集者の後記」P.320)。そのため、1953年に出版されてから50年近くも闇に葬られてきたのです。
また、ドイツの被害を描き出すということは、「複雑で、道徳的に白黒のはっきりしない問題であって、あらゆる種類の歴史修正主義者によって簡単に悪用される恐れがある」(同上 p.321-2)という、微妙な問題をはらんでいます。
 
この点については山本浩司氏が「訳者あとがき」で以下のように論じています。
 
女性ジャーナリストによって綴られたこの日記には、「ソ連軍の凄惨な集団婦女暴行が克明に記録されているが、本書の批判の射程は赤軍の無法を超えて、ナチズムはもとより、近代ドイツが称揚してきた男性神話にまで及んでいる。従って、女性たちの悲劇を国民的な受難の物語として、戦前の歴史に再接続するために都合よく利用するわけにはいかないのだ」(p.324-5)と。
 
なお、山本氏は同時に、女性ジャーナリストの「時代の制約」(p.325)も指摘します。ナチ用語を使っている点を指摘する等、翻訳者・研究者ならではの解説で、非常に参考になりました。
 
翻訳も素晴らしいです。
白水社もよくやった。
超オススメ。私の本棚(厳選)行きだなあ。
 
今年1冊目。

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