高橋哲哉『国家と犠牲』

高橋哲哉『国家と犠牲』を読みました。
 
国家と犠牲
 
国家は国民に犠牲を求め、国民もすすんで国家の犠牲になろうとする。この論理を追求した本です。右傾化がすすむ昨今においては非常に興味深い論点だと思います。
 
本書には、小泉首相のいろいろな発言も収められています。
”改革”の声に踊らされている方々は、小泉首相がどのようなことを言っているのかを本書で一度確認された方がいいでしょう。
 
非常に参考になる本ではありますが、1点だけ気になるのが「国民」という言葉です。
 
「国家は国民に「犠牲」(sacrifice)を求めます」(p.9)
 
という言い方がなされています。
この論理は国家が軍を持つとき、避けられないものになっていると言います。軍は国家にとって犠牲そのものだからです(p.227)。
 
軍というと、去年、某県の某市の駅を訪れたことを思い出します。
いわゆる田舎でありまして、駅前も閑散としていました。
あたりを見回すとやはりあったのが自衛官募集の看板であります。東京ではなかなか見られない光景でした。
 
また、マイケル・ムーア『華氏911』を思い出します。経済発展がうまくいっていない米国のフリント地域で、多くの若者が軍にリクルートされ、イラクに派遣されていったのでした。他方で、上下院の議員のうち、子供がイラクに派遣されていたのはほとんどいなかったはずです(たしか1人だけ)。
 
国家は国民に犠牲を求めるわけですが、犠牲を求められる国民は一部に偏っているのではないでしょうか。
この点を論じないと「国家と犠牲」について考察を尽くしたとは言えないでしょう。日本における経済格差拡大の問題は、多くの議論がなされています。それらの成果を基に論じて欲しかったところであります。


 

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