2010/1/11(祝・月)は「2010年初頭いきなり奈良京都ツアー」の三日目。一人で洛中(三十三間堂近辺)と京都駅近辺を歩きます。お昼は友人Y夫妻とお食事の予定。
【工程表】1/9(金)夜スタートの1/11(祝)帰着のスケジュール。
・2010/1/ 9(土)奈良(1/ 8(金)車中泊)
・2010/1/10(日)京都その一
★2010/1/11(祝)京都その二
なぜに洛中(三十三間堂近辺)と京都駅近辺を選んだかというと、
・敬虔な真言宗智山派宗徒としては(嘘です)、総本山は見ておかなければならない(多少のご縁があります)。
・修復の終わった西本願寺は見ておかなければならない。
という2つの理由からです。
場所はこちら。
大きな地図で見る
帰着日でしたので、朝ホテルをチェックアウト。ホテルに荷物を預かってもらい、出発しました。ホテルは京都タワー近くにありましたので、洛中の「三十三間堂」には歩いて行けると判断。てくてく歩いて行きました。20分かからなかったかな。「三十三間堂」に行く道には銭湯があったり、観光地然していない街並みを見れたりして、楽しめました。
【三十三間堂脇】
豊臣秀吉の建てた太閤塀と南大門です。この辺りは秀吉ゆかりの寺・神社・遺跡が多くありました。また後ほど出てきます。
(Nikon D60)
「三十三間堂」には朝イチ(9時すぎ)に行ったのですが、すでに多くの人が居ました。すごい人気であります。私はスリッパをはき忘れてしまい、非常に寒かったです。スリッパは忘れないようにしましょう。スリッパをはかなかったせいもあり、またこの日も非常に冷え込んでおり、お寺巡りをしている間中、尿意を感じ続けることになります。前日に引き続き、お寺を巡っているんだか、お寺のトイレを巡っているんだか、わからなくなったときがありました。
【三十三間堂】
(Nikon D60)
【矢が飛んでくるよ!】
通し矢でも有名であります。
(Nikon D60)
「三十三間堂」を出て、そのそばにある「養源院」に行きました。ここは私のオススメスポットです。
・何はともあれ「血天井」。
(伏見城落城の際、鳥居元忠以下自刃したのですが、その血で染まった伏見城の廊下の板をお寺の天井にしています。天井が血で黒ずんでいるのです・・・)
・建物や壁画が伏見城から移築されたもので美しい。
(俵屋宗達の絵を見ることができます)
・鴬張(うぐいす張り)廊下である。
(きゅっと鳴ります。面白い。左甚五郎作)
というのがオススメの理由。徳川の菩提寺でもあり、徳川歴代将軍の位牌が並んでいます。
【徳川の養源院】
(Nikon D60)
「養源院」は自由に参拝できません。テープレコーダーと係員によって、解説付きで参拝します。行ったとき、私一人しかいなかったんですが、待たされることなく解説してくれました。ありがたいことです。どうもでしたー。
続いてはいよいよ「智積院」(ちしゃくいん)です。
【総本山】
(Nikon D60)
真言宗の人びとは高野山から根来山に移って勢力を拡大していったわけですが、秀吉に逆らって敗北してしまいました。その後、家康の時代になって今のところに再興したのであります。このお寺で驚くのは修行中の若いお坊さんの数です。たくさんの若いお坊さんが庭の掃除したり、年末年始で使ったであろうものの後片付けをしていました。どこぞのお寺の住職の跡継ぎでしょうか。このお寺の残念なのは、焼失で古い建物が無くなっており、再建されたものであるという点です。真言宗は密教ですから、護摩で火を使います。それが原因なんですかねえ。
お寺の建物に行くまでに大きな庭(と言っていいのかな)があります。
【初春の訪れ】
(Nikon D60)
【金堂】
再建されたもの。コンクリート造り。ピンク色が変わっています。桔梗の紋はいいですな。以前は中に入って自由に歩き回れたはずですが、今は仕切られてしまっていました。
(Nikon D60)
【坂の上には】
お寺の建物がありました。
国宝の障壁画を見た後は講堂へ。講堂も最近に再建されたものです。
【講堂から】
講堂から撮った建物。書院かな。
(Nikon D60)
【講堂に吹く風】
(Nikon D60)
「智積院」の後、「妙法院」に行こうとしたのですが、時間の関係で行きませんでした。目指すは「豊国神社」と「方広寺」です。秀吉ゆかりの場所であります。
【豊国神社の唐門】
伏見城の遺構です。
(Nikon D60)
「豊国神社」のお隣が「方広寺」です。NHK ETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」を見たものとしては外せないスポットであります。有名な鐘があります。「国家安康 君臣豊楽」と書いてあります。家康の名を分断し、豊臣の繁栄を祈っているのではないか、と家康は言ったわけですね。
【国家安康 君臣豊楽】
ちょいボケたかな。
(Nikon D60)
鐘を見ているときに夫婦2組がおりまして以下のような会話をしていました。
「おー、これかあ。ってこんなん家康の言いがかりやわー」
「ほんまやでー。なんでも良かったんちがうかー」
「ひどいわあ」
関西圏では秀吉びいきあるいは家康嫌いの人が多いようです。
「方広寺」の先に広場があります。大仏殿があった場所です。今回初めて知ったんですが、奈良の大仏よりも高かった壮大な大仏が京都にあったんですね。秀吉・秀頼によって作られましたが、今は失われています。
再び「豊国神社」に戻って、宝物館を訪れました。秀吉にゆかりの品々が展示されています。
【光射す】
(Nikon D60)
「豊国神社」を出て少し歩くと、「耳塚」(鼻塚)があります。秀吉が朝鮮侵略を図った、日本で言うところの「文禄・慶長の役」、朝鮮半島で言うところの「壬辰倭乱・丁酉倭乱」(イマジン・ウェラン)で、日本側が討ち取った朝鮮兵の耳や鼻をそいで持ち帰ったものを葬った塚です。NHK ETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」ウオッチャーとしては外せないスポット。
【耳塚・鼻塚】
(Nikon D60)
Y夫妻とは13時に京都駅待ち合わせでした。のんびりと京都駅まで歩きます。
【道端の鐘】
(Nikon D60)
13時に無事にY夫妻と会うことができました。伊勢丹にある京懐石の「松山閣松山 ジェイアール京都 伊勢丹店」へ。ゆばをたくさん食べれるセットをセレクト。ゆばが桶に入って出てきます。おいしかったなー。歯ごたえがなんとも言えません。
【ゆば桶】
(GR DIGITAL II)
Y夫妻と歓談してのんびりとお昼を過ごす。お付き合いいただいてありがとうございました!>Y夫妻
ということでお昼までの部終了~。
続きはこちら。
←入ってみました。よければクリックを。