山口二郎『若者のための政治マニュアル』を読みました。
10個の“ルール”が掲げられ、若い人々へ政治のスキルを提示しようとしています。
とはいえ、論述は若い人向けではなく、普通に書かれていますので、老若男女すべてに薦められる本です。
10個の“ルール”はいずれも重要です。
興味深かったのは、「社会的包摂(しゃかいてきほうせつ)(social inclusion)」の概念。
「どのような形であれ、人間が社会の一員として居場所を確保し、他者からも認められる状態」(p.28)
をあらわす、最近の政治学のタームであります。
逆は「社会的排除(social exclusion)」と言います。人間の居場所をいかに確保して、「社会的包摂」状態を保っていくか。それこそが社会の安定の基盤を成すのです。
「ルール8 本当の敵を見つけよう、仲間内のいがみ合いをすれば喜ぶやつが必ずいる」も重要。
「政治における対立軸とは何か」(p.150)。
歴史的には、自由と平等が基本的な対立軸であって、右派が自由志向、左派が平等志向でありました(ボッビオ)。右派でも富の再配分を行う政策をしたりして、左右の差異があいまいになったりしましたが、富のヒエラルキーが生まれ、ヒエラルキーを正当化する立場と平等を目指す立場との間で新たな対立が生まれています。
この本の興味深いところは、この「対立軸」の概念によって小泉純一郎元首相による「偽りの対立軸」を明らかにしているところです。
小泉氏は(というかメディアもこぞって)、官と民と対立軸にしました。官と民とが対置していれば、経営者も正社員も非正規社員も同じ民の側になります。郵政省(当時)の官僚や族議員などの官の人たちを敵にし、問題化し、構造改革だーと言ってておけば、民の側の問題(貧富の格差等)は問題になることはないのです。だからこそ、格差を広げるような政策が実行されていたのに、小泉首相の時代に格差が問題になることはなかったのです。しかも自らの政策を「構造改革」と言った。非常に耳に心地よい言葉でありますが、実態を見てみないといけない。結局は新自由主義に則り、一部の人々のみを利する政策であったのです。
対立軸を間違うと、問題を見失います。
意図的に偽りの対立軸は作られうるものです。気をつけていかないとなりません。
最近では、早稲田大教授の鈴木宏昌氏が東京新聞で以下のように述べていました。
(2008/12/12 朝刊9面より)
「問題なのは正社員と非正社員の格差がありすぎること」
「最低賃金が低すぎることや組合が正社員のものになりがちだったことが格差を広げた要因で、是正する必要がある」
これは間違いです。
問題は非正社員の存在だからです。
規制を緩和した政府や、自らの職を辞することなく非正規社員切りする経営者こそが本当の敵なのです。正社員対非正社員という偽りの対立軸が生まれかねない言説です。危険危険。対抗しましょう。
いい“メガネ”を手にした感じ。
これも私の本棚(厳選)行きだなあ。厳選できてないなあ。まあいいけど。
そういえば、このあいだ北大に行ったときに、著者の山口二郎氏とすれ違いました。私が学生のころは新進気鋭の学者という感じでしたが、年取りましたねー。私も年取ってますけど。
今年98冊目。
吉見俊哉『万博幻想 -戦後政治の呪縛』
吉見俊哉『万博幻想 -戦後政治の呪縛』を読みました。
大阪万博、沖縄海洋博、つくば万博、愛知万博の4つの博覧会を取り上げ、博覧会を巡る政治を論じた本。万博はそもそもは「地方の行政システムが、中央の官僚システムと補助金、そして多数の大企業を巻き込んで地域のインフラを整備し、開発の基礎を固めていく重要な「動員」の仕掛け」(p.178)でありながらも、徐々に市民参加が広がってきた歴史が明らかになります。
吉見氏は愛知万博に委員として関わったので、愛知万博の記述が一番充実していました。
しかし、吉見氏がなぜに反対運動の側に立たなかったのかがよくわからない。運動の側に立って、博覧会の政治を見つめていってもよかったはずであります。高畠通敏の議論を持ち出すまでもなく、市民参加の広がりの中で、そういう知識人のあり方こそが求められているのではないでしょうか。
今年95冊目。
もうむちゃくちゃだー(トヨタ自動車 奥田碩氏の発言より)
トヨタ自動車 奥田碩氏が、「政府の懇談会で、マスコミの厚生労働省批判に対して「何か報復でもしてやろうか」と、自社の広告引き上げを示唆した」(J-CASTニュース)そうです。
もうどんな横暴もアリなのでしょうか。
むちゃくちゃ。
懇談会から今すぐ外してください。
実際のところ、トヨタがテレビCM引き上げてもそんなに効果は無いらしいんですがね。
トヨタ車は買わないようにしよう。
恐ろしい自衛隊
田母神俊雄・前航空幕僚長の件なんですが、そもそもこの人は「空自のイラクでの活動の一部を違憲と判断した名古屋高裁の判決に対して、「『そんなの関係ねぇ』という状況だ」記者会見で語って物議をかもした」(asahi.com)人間です。
もうむちゃくちゃ。
この時点で罷免されていなければおかしかった。
その件と、今回の歴史認識の件をあわせて考えるに、日本の自衛隊は非常に危険。
「そんなの関係ねぇ」で、文民統制の枠組みから外れ得るでしょう。
森元首相や安部元首相等の自民党幹部とのつながりも指摘されています。
やはりここは政権交代の上、自衛隊も立て直すべきでしょう。
しかし、結局のところ、日本は戦争の反省をしないねえ。
敗戦時の不十分な責任追及が原因でしょうし、やはり戦後教育の失敗でしょうな。
うっかり
mixiを見ていたら、日刊ゲンダイ2008年9月17日掲載の「こんな汚い連中に首相の資格など全くなし」というニュースが流れていました。
内容は自民党総裁選が、衆院議員選挙の事前運動に当たり、公職選挙法に抵触するというもの。
確かにそうですね。
この視点は無かったなあ。反省反省。
公平性に欠けますので、自民党総裁候補はすぐに活動を休止するべきです。
活動休止しない人は支持しないようにしましょう。
消費税増税について
今後、消費税増税が論点となります。
高齢化に伴い、社会保障費が増大する。
・・・なるほどなるほど、その通りでしょうな。納得です。
↓
社会保険料では賄いきれないし、財政の弾力性を維持するためにも、つまりは後の世代が借金返済にひーひー言わないためにも、国債に頼らず、税収増で社会保障費の増大に対応する必要がある。
・・・なるほどなるほど、その通りでしょうな。これまた納得です。税金増えるのOKですよ。Welcome!!
↓
その財源は消費税であり、消費税の増税が必要である。消費税はホニャララ%にする必要がある。
・・・ちょっと待ったー!!
と、ここでひっかかるのです。
なぜならば、消費税の性質に逆進性があるからなのです。低所得に人からたくさんの税金を取りうる仕組みなのです。
橘木俊詔『格差社会 何が問題なのか』がわかりやすく説明しています(p.190)。貯蓄と消費の比率を考えればよくて、高所得者はかなりの金額を貯蓄に回せますが、低所得者は貯蓄に回す余裕が無いので、所得のかなりの部分を消費に回さざるを得ないでしょう。低所得者のほうが、税金払う割合が増えてしまうのです。
税はおしなべて累進性を持たせるべきなのです。持てるものの責任でありましょう。
所得税の増税が考慮されるべきです。私なんか、所得税増えるのWelcomeですけどねえ。それでやる気を失うなんてことはないですな。福祉に使われるのであれば、税金払う人冥利に尽きるというものです。
所得税は節税できてしまうので、消費税で確実に税金を取るべきという議論も有り得ます。それには一理ある。しかし、消費税の逆進性を止める施策が必要です。これまた橘木俊詔 前掲書に提案されていますが、「食料品や教育、医療など生活に欠かせない分野への支出は非課税にし、それ以外の一般財だけに税金を掛けます。しかも贅沢な商品には一五%よりも高い税率を掛けます。」といった具合です(p.200。ちなみに15%は橘木氏が妥当だとする消費税率)。
おそらく今後は消費税増税議論が活発になってくるのでしょうが、評価のポイントは消費税の逆進性に配慮しているかどうか。ここのところをきちんと考えていない消費税増税論には全てNOを突き付けるべきです。
ワーキングプアについて少し考える
ワーキングプアを巡って、例えば非正規雇用をどうしていくのか等、いろいろと議論のあるところだと思いますが、問題意識をどこに持つのかは考えておくべきでしょう。
非正規雇用が増えていると。
じゃ、どうするかなんですが、ざっくりまとめると、以下の2つの方向性があると思います。
その1.非正規雇用の待遇を正規雇用並みにする。
その2.非正規雇用を正規雇用化する。
「その1.非正規雇用の待遇を正規雇用並みにする」というのは、前に新聞で竹中平蔵さんが主張していました。新聞は捨ててしまったので、残念ながら引用できません。確か、働き方も多様化しているので、常時働きたい人ばかりではないだろう。非正規雇用の労働条件、待遇を正規雇用並みにしなければならない、という議論でした。
私は少し違和感を覚えました。ライフスタイルとして常時働かない選択肢を選ぶ人も多いでしょう。しかし、問題の在りかはそこなのでしょうか。正社員として働きたいけど働けず、不本意ながらも契約社員とかに留まっているような人の存在をこそ、問題としなければならないのではないでしょうか。
そう考えると、「その2.非正規雇用を正規雇用化する」手だてを考えなければなりますまい。有期契約がもたらす不安定な状況を無くしていくと。企業にはコスト増になるわけで、景気後退のさなか、困難な舵取を迫られるでしょう。不況下、一時期議論された”ワーキングシェア”もあらためて検討されるべきでしょう。そうなると、労働者側も賃金減少をどこまで引き受けるのか、検討が必要です(その分、余暇が増えましょうが)。企業経営する人、働く人、どちらもが協力しあって、解決するべき問題であります。
実のところ、その1でも2でも、どちらから出発したところで具体的な処方箋に変わりはないのかもしれません。
しかし、どちらを向くのかは意識しておかないと、議論が変な方向に行ってしまうのではないかなあと思います。
“ライフスタイルの違いとして問題をとらえない。”
この視点は維持していきたいと思います。
創価学会と公明党
ちょいと前ですが、東京新聞2008/9/3朝刊27面に斎藤学氏が創価学会と公明党について書いています。
池田大作氏の「証人喚問阻止のことしか考えていない」公明党の姿、創価学会の矢野絢也氏への人権侵害の疑い等、短いエッセイながらも、マスコミにあまり取り上げられない問題に取り組んでいます。
勇気ある取り組みだったので、ここでも紹介しておきました。
政党再編への第一歩として暫定的な政権交代を
自民党総裁選が始まっています。9/5の東京新聞朝刊では、4人の候補者の経済政策をチャート化していますが、同じ政党に属しながらも経済政策で正反対といっていいほどの違いがあります。
自民党は昔から包括政党(catch all party)でありまして、色々な立場の人が集まって、政権与党を構成してきました。なんだかんだで長期的に自民党が政権を担当してはいますが、自民党内の立場の異なる人が総裁選を争い、総裁が入れ代わることで、擬似的な政権交代を実現してきたともいえるわけです。これを評価する人もいます。
しかし、結果はどうであったにせよ、そのプロセスに有権者は不在でありました。政権交代は、同一政党内の総裁選ではなく、有権者による政権政党の選択、すなわち選挙を通じて行われるべきものです。ところが現在、他方の民主党もこれまた寄り合い所帯でありまして、政党間の対立軸がよくわかりません。大連立構想すら出てくるありさまです。これでは、どこの党に投票すべきかよくわからず、有権者からしてみれば、選択しようにも選択できない、というのが現在の政治状況でありましょう。
この状況を変えるためには、政治方針の違いを軸とした政党再編が必要だと思います。おそらく大きな論点は、新自由主義でいくのか、社民主義(他の言い方のほうがいいかな)でいくのか、でしょう。その論点を軸とし、自民、民主のみならず、社民党や他の政党含めた再編を望みます。二大政党制度の是非や、選挙制度についても再考されるべきでありましょう。
とはいえ、現段階での早急な再編は難しそうです。そうなると政権は一時的なものであるべきで、近々での政党再編を目指す政権こそ、現段階での選択肢でありましょう。しかし、それは自らの失脚につながるわけで、そんな主張をする人はたぶん誰もいないでしょう。
じゃあどうするか。
私の提案は強引な療法です。すなわち、次の衆議院選挙で、自民党から他の政党への、とりあえずの暫定的な政権交代を実現することです。で、その政権をしばらく維持し、自民党が必ずしも与党ではないんだ、ということを内外に示します。
そうすることで、自民党が包括政党であることの根拠を崩します。自民党に属しても政権取れないのであれば、自民党が包括政党である根拠は無くなり、政界再編へのモチベーションが向上することでしょう。政権取った党が包括政党化する可能性があるので、自民党に代わってここで政権取る党は、党を挙げて、新自由主義か社民主議か旗色を明確にするべきです。
結果として政治方針の違いによる政党の再編が起こりやすくなるでしょう。
自民党以外の党というと現実的には民主党になるのでしょうが、自民党派閥政治を影で牛耳っていた小沢氏に、こちらが望むような政党再編は託しにくいです。市民運動出身の菅氏に期待します。不倫問題はもう本人も反省したことでしょうし。あ、でも民主党党首選には出ないのか。じゃだめだな。社民党の福島氏を中心にした連立政権というのもありでしょう。北朝鮮への変な期待とか憧憬とかもうないでしょうし。それに必ずしも二大政党制ありきというわけでもありますまい。
暫定的に非自民政権を立て、維持し、政党再編を促し、選挙による政権交代を定着化させる。そこに狙いを定めるのであれば、小沢民主党でもいいと思います。
ともかくひとまずは、次の衆議院選挙で非自民への投票を行いませんか。広くお誘い申し上げます。
なお、政治混迷のなか、強力なリーダーシップを求めるのは誤りの始まりなので、慎重にいきましょうね。
cf.)
全部WILLCOM03で書きました。やはりキーボードは快適です。
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sent from WILLCOM 03