「霧の火~樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち~」を観ました。
日本敗戦後の1945年8月20日に起きた真岡郵便電信局の電話交換手集団自殺(自決)を元に作られたドラマです。これは良かった。保存決定。
さて、「九人の乙女の像」という、事件で自殺(自決)した9人の電話交換手の慰霊碑があります。ドラマの最後でも出てきます。慰霊碑には、交換手の最後の言葉らしき文章が書いてあります。
「皆さん これが最後です さようなら さようなら」
かつて私の先生は「“これが最後だ”という言葉に決してだまされるな。“これが最後”なんてことは決してない。」と言い、それを卒業生に送る言葉としました。
ドラマ中、遠藤憲一演ずる山田史郎は、青酸カリを手にした義理の娘に対して言います。
「いいか瑞枝。いざっていうときはな、目ぇつぶって、歯ぁくいしばって、野田(主人公 瑞枝が心を寄せる男性。戦争に行きました)のことでも考えていろ。貞操なんてたいしたもんじゃない。」
その後、ソ連軍人に犯された姿を見て言います。
「お前、露助に・・・気にすんな。生きているほうが、ましだ」
純潔を守ろう、とかいうのって、なんて表現しておけばいいんでしょうか。“純粋なロマン”とでも言えばいいのでしょうか。“純粋なロマン”におぼれず、汚くても何でもいいから生きろ生き抜け!というメッセージがドラマから強く伝わってきました。
ちなみに慰霊碑の言葉は史実と異なります。おいおい。
ドラマは慰霊碑の言葉を使っていました。
また、戦争を終わらすのを遅らせた張本人に対する露骨な批判がありましたね。
そのために山田史郎というキャラを作ったのではないかと思われるくらいです。
脚本家にはかなりの覚悟が必要だったでしょう。竹山洋さんに心からの敬意を表します。
ソ連軍の民間人への攻撃も露骨に描かれていました。
戦争はやっちゃだめです。ストレートに伝わってきます。
あと最後に、今読んでいる明田川融『沖縄基地問題の歴史 非武の島、戦の島』で問題提起されている点、すなわち、戦争における集団死の悲劇について、民間人の自決を軍が命令した・してないだけが論点ではなく、真岡郵便局において青酸カリを彼女らに渡したような「中間層の存在・機能・役割りの包括的解明が不可欠」(P.60)であるという課題点を指摘しておきます。
あ、最後の最後に、エンディングの曲は松山千春「思ひ」でした。
音楽に関して、やはり松山千春はあなどれません。