『NETWORK MAGAZINE』の2006年1月号に「サーバルーム・リフレッシュプロジェクト」
という記事があります。
オススメです。
IT技術者はビルのファシリティまで把握する必要がありますが、初心者向け記事として最適です。
三島由紀夫『春の雪 豊饒の海(一)』
三島由紀夫『春の雪 豊饒の海(一)』を読みました。

三島を読んだのは10年ぶりぐらいです。
文章が本当に美しい。今年は『豊饒の海』シリーズで締めですな。
なお、(二)にあたる『奔馬』が品薄です。
本屋さんを巡って2店目で最後の一冊を入手できました。
映画化されたこともあって、人気のようです。
映画化といえば、映画は見てないのですが、竹内結子さんはミスキャストだと思います。なんとなく。
ロベール・ドアノーの「市庁舎前のキス」
「市庁舎前のキス」という写真があります。
東京都写真美術館の壁になっていました(今はもう無いかも)。
テレビ東京の「美の巨人たちSP・キスを巡る四つの愛の物語」という番組をたまたま見ていたら、「市庁舎前のキス」が取り上げられていました。
その写真を撮った人の名前はロベール・ドアノー。
写真が強く印象に残っていましたので、前から写真家の名前を知りたかったのです。写真集とか出ているのでしょうか。こんどチェックしてみよう。
医療改革大綱
医療改革大綱が決定されたとのことです。
(2005.12.1 日本経済新聞朝刊1面)
疑問は、なんで高齢者の負担を引き上げるのかということです。
69歳以下の負担を引き上げるべきでした。
私は69歳以下ですが、負担UPはOKです。それで高齢者の負担が維持、あるいは引き下げられるなら喜んで負担UPに応じます。
医療費の抑制をするなら、まずは医療費自体の見直しを行うべきです。その上で、患者の負担をUPする必要があるならば、”現役世代”の負担をUPするべきです。年取ったら病院にも行く機会が増えるわけですから、負担は低く抑えるべきでしょう。
なんか、高齢者に厳しい社会になっていませんか。
私は、それは間違った社会だと考えます。
ということで、小泉首相の進める間違った”改革”には反対します。
知恵蔵 2006 -高畠通敏から山口二郎へ-
12月ですね。
早いものです。
もう今年が終わってしまう・・・
我孫子武丸『殺戮にいたる病』
トラブル
仕事といえば、トラブルが起こったときの緊張感が最近は快感です。
数分の内に決断しなければいけない極限の緊張感が心地よい(おいおい)。
ネットワークのお仕事にはそういう瞬間がたびたび訪れます。
この土日もそういう瞬間がたくさんありました。
いい経験ではありました。
少ない髪の毛がさらに少なくなりましたが・・・
2日ほど
徹夜状態でした。
参った。
が、これで今年の仕事の山は越えた(ハズ)です。
いやー、疲れた。
高橋哲哉『国家と犠牲』
高橋哲哉『国家と犠牲』を読みました。

国家は国民に犠牲を求め、国民もすすんで国家の犠牲になろうとする。この論理を追求した本です。右傾化がすすむ昨今においては非常に興味深い論点だと思います。
本書には、小泉首相のいろいろな発言も収められています。
”改革”の声に踊らされている方々は、小泉首相がどのようなことを言っているのかを本書で一度確認された方がいいでしょう。
非常に参考になる本ではありますが、1点だけ気になるのが「国民」という言葉です。
「国家は国民に「犠牲」(sacrifice)を求めます」(p.9)
という言い方がなされています。
この論理は国家が軍を持つとき、避けられないものになっていると言います。軍は国家にとって犠牲そのものだからです(p.227)。
軍というと、去年、某県の某市の駅を訪れたことを思い出します。
いわゆる田舎でありまして、駅前も閑散としていました。
あたりを見回すとやはりあったのが自衛官募集の看板であります。東京ではなかなか見られない光景でした。
また、マイケル・ムーア『華氏911』を思い出します。経済発展がうまくいっていない米国のフリント地域で、多くの若者が軍にリクルートされ、イラクに派遣されていったのでした。他方で、上下院の議員のうち、子供がイラクに派遣されていたのはほとんどいなかったはずです(たしか1人だけ)。
国家は国民に犠牲を求めるわけですが、犠牲を求められる国民は一部に偏っているのではないでしょうか。
この点を論じないと「国家と犠牲」について考察を尽くしたとは言えないでしょう。日本における経済格差拡大の問題は、多くの議論がなされています。それらの成果を基に論じて欲しかったところであります。


