土井敏邦『米軍はイラクで何をしたのか―ファルージャと刑務所での証言から』

土井敏邦『米軍はイラクで何をしたのか―ファルージャと刑務所での証言から』を読みました。
 


米軍はイラクで何をしたのか―ファルージャと刑務所での証言から

 
2004年4月の、米国によるファルージャ攻撃後の5週間にわたるイラク取材の後に、ファルージャと捕虜虐待についてレポートした本です。
 
恥ずかしながら知らなかったのですが、ファルージャ vs 米国のきっかけは、2003年4月のある事件にありました。市内の小学校に陣地を構えた米軍に対して、ファルージャ市民が抗議行動をしました。それに対し、米軍が銃撃を加え、17人が殺害されたのです(p.3-4/p.41-2)。米国の”民主主義”には異論を唱える権利は含まれていないようです。これでファルージャの反米意識は高まったのでした。
 
実は、ファルージャはフセイン政権と対立関係にありました。ファルージャ出身の空軍司令官が処刑されたり、それに反対してファルージャで大規模デモが起きたりしていました。従って、市民の大半はフセイン政権の崩壊に喜んでいたのです。しかし、フセインに代わる政権を作ってイラクから撤退すると期待されていたのに、米軍によるイラク占領は続きました。占領への疑問が出てくる中で起きたのが上記の小学校での事件だったわけです(p.38-43)。
 
4月の攻撃における具体的な被害状況は本書を読めばわかります。写真とともにインタビューが掲載されています。白旗を掲げていたのに、狙撃され子供を失った母親(p.15-16)や、休戦後に狙撃されて病院に運び込まれた子供の姿(p.29-30)がそこにはあります。
 
さて、4月の攻撃では、米軍は激しい抵抗にあいました。抵抗したのは誰だったのでしょうか。
ファルージャで戦っているのは「「アルカイダ」など外国人武装勢力」(p.31)であるという説明が米国によって行われました。しかし、実際はどうだったのでしょうか。公立学校のアラビア語教師人がインタビューを受けています。彼の言葉を引用しましょう。
 
「私は公立学校のアラビア語の教師です。私が銃を持って米軍と闘った第一の理由は、米軍が占領軍だからです。」(p.31)
「実際、銃を持って闘ったのは教師や公務員、病院関係者、労働者などさまざまな層の人たちです。それはまさにファルージャの住民です。私は教師ですが、その後ろで生徒たちも闘いました。商店主たちも、モスクで祈っていた人たちも銃を持ってかけつけました。」(p.34)
 
一般市民が米軍に抵抗していたのです。「住民が街を守るために立ち上がった”住民の闘い”だったのです。」(p.34)
結局、前述の被害状況を合わせて考えますに、ファルージャでは米国こそがテロリストだったと言えるのではないでしょうか。街を破壊し、家族を殺したテロリスト。
 
テロと闘う米国ならば、まずは自らのテロ行為を止めるべきです。また、テロには屈しないのであれば、日本政府も米国にファルージャ攻撃を止めるよう同盟者としての助言を行うべきではありますまいか。
 
岩波ブックレット。480円(税別)。


 

One Reply to “土井敏邦『米軍はイラクで何をしたのか―ファルージャと刑務所での証言から』”

  1. アメリカとアルカイダの正義・・。

    太平洋戦争では、日本は「大東亜共栄圏」という理想(?)を唱え続けました。中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義の支配から解放し、日本を盟主に「共存共栄」の広域経済圏をつくるという思想でした。・・が、それを何万回唱えても「大東亜共栄圏は、全アジアの満洲

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