津島佑子『火の山―山猿記(上)(下)』

津島佑子『火の山―山猿記(上)(下)』を読みました。
 

 

 
このような素晴らしい小説に出会えるなんて、生きていて良かった。
 
甲府に生まれ育った一族の戦前~戦中~戦後を描く。
一族で敗戦後に米国に渡った勇太郎という人の手記なのですが、物語が進むにつれ、勇太郎のペンを奪うかのようにして語り手が勇太郎の姉達に変わっていきます。また、その手記も勇太郎のオリジナルそのものではなく、勇太郎の孫であるパトリスの注釈や子供である由紀子による補足が行われています。語り手の複数性がこの小説のおもしろさであります。
また、過去の話・現在の話、実際に起きたこと・空想が入り乱れながら、話は進んでいきます。読んでいるうちに、ややをもすると混乱してしまいますが、それもまたこの小説を読むことのおもしろさでありましょう。
 
そして注目すべきは出産の喜びであります。
 
勇太郎の姉、桜子は結核に冒されたために、子供を産むか堕ろすかの選択を迫られます。彼女は迷わずに生むことを選びます。その場面で女達は言います。
 
「<子どもが産める! それで自分が死んだってうれしい! 生まれた子供が死んだってうれしい!>」(下,p.361)
 
生まれた子供の片眼は青く光っており、命の危険や眼の障害の可能性がありました。それを知った桜子は言います。
 
「へえ、そうなの。自分の眼でみてみたいなあ! サファイアみたいな眼なんて、すてきじゃん。いちどでいいから、みせてくんないかなあ。」(下,p.371)
 
※桜子は結核に罹っているため、子供と会うことはできない。そのため「みてみたい」と言うことになる。
 
長男を早くに喪った津島佑子がこのように書けるようになるまでは長い道のりがあったのではないかと思います。
母親の喜びと共に子供は生まれてくる。そのことはおそらく子供が育って大人になった後においても、彼・彼女を支える一つのよすがとなることでしょう。
 
この本はブックオフで見つけて、この作者の本は読んだことないし、とりあえず読んでみるか、ということで購入したものです。
こんな素晴らしい小説だったとは!本との出会いというのも本当に偶然であります。
(おー、シャレになった)
 
今年5,6冊目。


 

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