スーダン・ダルフール危機(アグネス・チャン報告より)

アグネス・チャンさんによる視点・論点「危機的状況のスーダン難民」を観ました。以下、番組の要約。
 
(民兵を”ジャジャウィード”としていましたが、”ジャンジャウィード”が正しいようなので、修正しました。2004/11/23)
 
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まず、スーダンの悲惨な状況を確認します。
 
・国内で非難している人が160万人以上
・西の隣国チャドまでたどり着いて難民となったのは20万人
(チャドまで行けない年取った人や子供たちが村に残されている状態)
・7万人が死亡
 
スーダンは大きな国でありまして、面積は日本の7倍(250万平方キロ)、人口は3,700万人。人種はアラブ系40%、アフリカ系31%、ペジャ族7%。言語はアラビア語と英語。宗教は北部はイスラム教で、南部はキリスト教含む土着宗教を信じる人が多いということです。
 
以前より南北で対立がありました。
アグネス・チャンさんは1999年にスーダン南部に行ったことがあるそうで、そのときに見聞きした話が語られした。歴史を確認すると、1956年にスーダン共和国として独立しました。しかし、独立直後から南北が対立していました。1983年から、
 
北部のアラブ系イスラム教徒 vs 南部の黒人系キリスト教徒
 
の間で内戦が勃発します。
そして1989年にバシル軍事政権が成立します。彼らは南部の独立を認めませんでした。なぜならば、南部には石油を含めて自然資源が豊富にあったからでありました。政府軍は空から、陸からはアラブ系の騎馬民族(ジャンジャウィード)を使って南部を襲いました。
 
1999年頃から中国、カナダ、スウェーデンへ石油を輸出するようになります。そして、2002年から平和交渉が開始されました。2003~4年には、様々な合意が進みました。例えば、石油で得た利益を南北で半分に分配するというような整理もされます。北のイスラムの法律は南には適用しない、ということも決まったりします。
 
しかし、平和交渉にダルフールの人々は含まれていませんでした。
ダルフールで反発が広がり、反政府軍が立ち上がります。政府は再びジャンジャウィードの協力を依頼し、大規模な虐殺が行われました。それが現在まで続いています。
 
今年になってこの虐殺が報道されるようになり、国際的な圧力が強まりました。スーダン政府は重い腰を上げ、和平を進めようとしています。様々な和平の会議に参加するようになりました。国際社会は経済的な11/9に合意がなされました。ジャンジャウィードの武器を取り上げ、空襲もしないようにすることになりました。11/18、19にナイロビで安保理会議が行われます。ジャンジャウィードの暴力を止めないと、経済制裁あり得るという決定になるでしょう。
 
ただ、スーダン政府はこれまでも散々約束を破ってきました。
動向を注視していく必要があります。
 
ユニセフも力を注いできた訳なのですが、いかんせん紛争が終わらないことには、活動を続けることができません。スーダンのことを忘れず、スーダン政府の出方を瞬きひとつせずに見続けていかなければなりません。
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他の情報ソースにもあたりたいところでありますが、もう限界。眠い。
また別途ということで。


 

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