香西秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』を読みました。
「われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する」(p.14)
力ある人を論破することはできません。しかし、レトリック(詭弁)を使って説得することはできます。そもそも言葉で何かを表現することは詭弁なのです。言葉はシーケンシャルだからです。両性を指すときに、男女というのか女男というのか。隣国の関係を指すときに、日韓というのか韓日というのか。両方を一緒には表現できないのです。リチャード・ウィーバーの言葉が引用されています。
「われわれが言葉を発するやいなや、われわれは聞き手に世界を、あるいはその一部を、われわれと同じように見るようにしむけているのである」(p.50)
あと参考になったのは立証責任を負わないようにすることです。「議論においては、責めるよりも守る方がはるかに難しい」(p.174)からです。「君はあのくだらない本を読んだのか」と言われたときの回答は、「私はあの本がくだらないとは思いません」ではないのです。そう回答してしまうと、その本がくだらなくない理由を述べる責任が自分に来てしまうからです。正しい回答は「あの本のどこがくだらないのですか」です。そうすると、くだらないことの立証責任が相手に行くのです。あとは相手の議論を責めていけばよろしい。
今年22冊目。