無念は力―伝説のルポライター児玉隆也の38年
ルポライター児玉隆也の評伝です。先日の東京国際ブックフェアにて購入した本の一つ。
児玉隆也については、田中角栄とその秘書佐藤昭について書いた「淋しき越山会の女王」が有名ですね。このルポについては大学で政治学をやった関係で知っていたのですが、読んだのは最近。児玉隆也の本が岩波現代文庫で復刊していまして、そちらで初めて読みました。
淋しき越山会の女王―他六編
下の『一銭五厘たちの横丁』も名作です。社会的弱者に目を向けていた児玉の真骨頂です。
ちなみに”一銭五厘”とは戦争期の葉書の値段です。赤紙は役所の人が手渡ししたので、赤紙が一銭五厘だったわけではないのですが、人の命が軽く扱われていたことを象徴的に”一銭五厘”として表現したのです(これも今回紹介する本書で初めて知りました)。
一銭五厘たちの横丁
坂上遼の本書は、様々なルポを残した児玉隆也について、丹念な取材の元に書き進められています。
「おわりに」というあとがきにも記述されているのですが、「正義のルポライター」(P.368)というイメージのある(私もそう思っていました)児玉にはだいぶ揺れがあり、「児玉さんが決して「知行合一」の完璧なジャーナリストでない」(同上)ことは本書を読むと明らかになります。
水俣病を引き起こしたチッソという会社を追うことで、日本の戦中戦後の姿に迫った「徹底追跡 チッソだけがなぜ?」という名ルポがあります。しかしその後、イタイイタイ病をカドミウム公害と切り離す「イタイイタイ病は幻の公害病か」を書いていたりします。
本書はそのような児玉の姿を隠すことなく記述します。ジャーナリストは正義一辺倒であり続けることは困難であり(お金を稼がなくてはいけないし、功名心や上昇志向もあります)、それを体現した「ジャーナリストのある種の「象徴」」(P.368-9)としての児玉の姿から、現在のジャーナリズムのあり方を問うていると思います。