栗原彬/五十嵐暁郎編『高畠通敏集(5)政治学のフィールド・ワーク』

 栗原彬/五十嵐暁郎編『高畠通敏集(5)政治学のフィールド・ワーク』を読みました。
 

 
 市民政治学者であり実践家でもあった高畠通敏の著作集「高畠通敏集」は全五巻刊行予定。これは第一回配本です。
 師匠の本は何が何でも読まねばなりますまい(配本されてからだいぶ時間が経っちゃいましたが)。
 
 『高畠通敏集(5)政治学のフィールド・ワーク』には、「声なき声の会」をはじめ「べ平連」「思想の科学」「国民文化会議」等の市民政治の実践を通じて書かれたエッセイや、追悼文、ベトナム戦争時の米国をレポートした文章、「第三世界」を巡って書かれた文章、自分の研究を振り返った文章(かの「職業としての政治学者-政治学入門以前」もここにある)、人生の終焉に書かれたガン闘病記が含まれています。
 
 「Ⅰ 市民運動私」-「1 声なき声の会」に収録されている「声なき声の二年間-あとがきにかえて-」は初めて読みましたが、高畠政治学への入門としてこれ以上の文章はないと思います。平易な言葉で政治運動の展望が語られています。
 「Ⅱ 人と思想」は追悼文中心。「丸山眞男氏を悼む」は短い文章ですが、「半世紀前の丸山の思想的道具立ての中で、近代ということと市民ということの区分が、いまひとつ明確でなかったことが気にかかる」(p.152)というのは高畠らしい指摘でありました。追悼文としては「藤田省三氏を悼む」が一番よいですかね。
 「Ⅲ アメリカ・レポート」-「アメリカからの便り」はベトナム戦争期の米国を現地でレポートしたもの。米国での戦争報道(「殺したベトコン500人」という表現で、新聞では“KILL”という言葉がヘーキで使われる)のレポートなど非常に興味深いですが、特に「一九六六年四月一五日」における以下の文章はいまだに熟読玩味する価値がありましょう。
 
 「ワシントンのいう“国際秩序”に責任を感じる必要は少しもありませんが、この意味での“国際協力”には、もし、日本が平和運動の“先進国”であることを自負しようとするなら、もっと責任を果たすべき余地は大きいと私は感じます。少なくとも“日本の”という特殊性によりかからないで、日本という経験をふまえながら、しかしもっと世界的な展望と洞察に富む提言なり研究なりがなされる必要があるということです。」(p.187)
 
 「アリゾナ高原の空の下で-わが青春のアメリカ留学体験-」も名エッセイ。
 
 「Ⅳ 第三世界から」にはインドやメキシコからのレポートが含まれています。
 「Ⅴ 政治学と私」の「私の研究」には、高畠が米国に渡り、計量政治学に取り組む様子が書かれています。政治の実証的な研究がどのように始まったのか、エピソード盛りだくさんでした。極めつけは「職業としての政治学者-政治学入門以前」です。
 
 「したがって政治学は、もちろん支配者や指導者のために仕えるものではなく、またマージナル・マンとしての権力批判や思考に役立つという位置にも止まりえない。こういう<解毒剤>的位置に自らを置くことが、いかに<挫折>と<禁欲>によって支えられているにせよ、究極的には専門への逃避の口実として、むしろ保身の役割を果たしているのが現実の機能なのである。学者は、専門のなかに<隠された神>によってではなく、自らの神の名において、一人の人間としてふつうの市民と同じ戦列に立って権力に向かうのが当然なのである。」(p.304)
 
 「Ⅵ わが人生と闘病記」には、晩年にガンに襲われた高畠が、自らの病状を綴りつつ、今までを振り返った文章が集められています。
 残念なのは、1969年に始まった学生闘争、高畠が正面からぶつかった立教大学法学部における立教闘争についてあまり書かれていないという点です。「立教闘争と私について、私はいまだ公に語ったことはない。」(p.320)と言うとおり、高畠は十分に語ることなく逝ってしまいました。立教闘争については神島二郎が著作に書いています(※1)。機動隊を導入するのではなく、教授陣がヘルメットかぶってピケをやぶって学生と対面して説得して、教授たちの車で最寄の駅に送って家に帰したという立教闘争の最後は、大学のあるべき姿を伝えるエピソードとして何時何時までも語り継がれていくべきものだと思います。高畠からそこらへんの話を聞けなかったのは残念です。
 とはいえ、学生闘争の後、「機動隊を導入して旧に復した東大との絶縁を公にし、東大の研究会への参加をやめる一方、そういう東大に追従した岩波書店への協力をやめた。」(p.321)そして、「私は自分が政治学において第一に追求するのは、市民政治学であるという旗印を掲げた。計量政治学は、私の副業になった。市民政治学などというのは、公認された学問分野としてどこにも存在していなかった時代である。」(p.321)というように、学生闘争・立教闘争を経て変容した自分の態度、学問のあり方については記述されていました。
 そして最後に“あっ”と思ったのが鶴見俊輔に向けて書かれた最後の文章です。高畠自身が少年時代に困窮の中を過ごしてきたことを振り返りつつ、「鶴見さんがこの問題にふみこもうとしてこなかったことが、今にして思えば、思想の科学の民衆へのアプローチに一定の狭さをもたらしていたようにも思います。」(p.351)と述べています。「高畠さんの政治学の最後のアジェンダが貧困の問題に向けられていたことが分る。」(栗原彬「解説」p.365)と思います。
 重要な人を失ってしまったんだなあと、改めて気づかされました。
 
 とにもかくにもオススメです。言うまでもなく「私の本棚(厳選)」行きです。
 今年28冊目。
 
 ※1 神島二郎 『日常性の政治学』 所収 「Ⅴ 学校と私」-「2 立教大学法学部とともに歩んで」


 

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