ユン・チアン『ワイルド・スワン(中)』

ユン・チアン『ワイルド・スワン(中)』を読みました。
 

 
『(中)』ではいよいよ文化大革命が始まります。
暴力の嵐だった文革期において、迫害されながらも正しくあろうとした人々がいます。その姿をよくとらえていると思います。
 
ところで、現代中国を考えるにあたり、周恩来をどのように評価するかという問題があります。著者の父親が不当拘束されたときに、母親が周恩来に直訴するのですが、周恩来は著者の父親を助ける一筆をしたためます。他にも文革期に実務を支えた周恩来が描かれます。
その一方で、文革に、そして毛沢東に必ずしも批判的ではなかった周恩来の姿も描かれています。周恩来には両面あったと評価すべきであり、本書の記述には納得です。この点からも本書は良著と言えると思います。

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川崎賢子『宝塚というユートピア』

川崎賢子『宝塚というユートピア』を読みました。
 

川崎賢子『宝塚というユートピア』


 
昨年夏に宝塚を訪れて以来、タカラヅカに興味を持っておりまして、読んだ次第であります。
タカラヅカの歴史を学べます。
 
また、日本の被占領期のGHQ/SCAP資料を駆使して議論されているところは本書の大きな特徴と思います。
私は去年、被占領期の歴史研究をされている研究者のゼミナールに参加していたのですが、最近は被占領期の歴史研究がさかんに行われているとのこと。その成果の1つと言えるのでしょう。
 
しかし、タカラヅカの戦争協力姿勢に対してはその内実を検討しないで安易に全否定する態度を戒めていながらも(P.82)、進駐軍の言説に対しては「素朴なアメリカ中心主義」(P.102)と評価したり、GHQ関係者の言説に対しても「彼女の批判の基準も、「アメリカ」であり、それ以外にはなにもない」と評価しています。タカラヅカの評価と比較し、進駐軍やGHQ関係者への評価が少し単純のように見受けられます。
 
あと、ちょっと記述で気になるところがいくつか。
例えば、P.177最終行。新書とはいえ論文だと思うのですが、論文において叙情的な表現は疑問です。「ささやかに癒され浄化された内なる<私>」(P.177)とありますが、説明がないです。なんで”ささやか”なのか。気にしすぎなのかもしれませんが、使用する言葉が曖昧かと。他にも「被占領下の観客がみずからを投影することが無かったとはいえない」(P.122)・・・うーん、ではあったと言えるのでしょうか。よくわかりません。

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