エルジビェータ・エティンガー『アーレントとハイデガー』を読みました。
アーレントとハイデガーとの関係を論じた(ずいぶん前の)話題作です。
ずっと実家に積読してあったのですが、やっと読むことができました。
ナチの問題と、アーレントとハイデガーそしてヤスパースを巡り、彼女らの書簡を基にして論じられています。戦中のハイデガーによるナチ協力をアーレントが問いただすことはありませんでした。むしろその過去を洗い流そうと努力してさえいたのです。
内容は非常に興味深い。
若干、文章表現とかが恋物語的に書かれすぎているような気がします。
高橋哲哉『国家と犠牲』
高橋哲哉『国家と犠牲』を読みました。
国家は国民に犠牲を求め、国民もすすんで国家の犠牲になろうとする。この論理を追求した本です。右傾化がすすむ昨今においては非常に興味深い論点だと思います。
本書には、小泉首相のいろいろな発言も収められています。
”改革”の声に踊らされている方々は、小泉首相がどのようなことを言っているのかを本書で一度確認された方がいいでしょう。
非常に参考になる本ではありますが、1点だけ気になるのが「国民」という言葉です。
「国家は国民に「犠牲」(sacrifice)を求めます」(p.9)
という言い方がなされています。
この論理は国家が軍を持つとき、避けられないものになっていると言います。軍は国家にとって犠牲そのものだからです(p.227)。
軍というと、去年、某県の某市の駅を訪れたことを思い出します。
いわゆる田舎でありまして、駅前も閑散としていました。
あたりを見回すとやはりあったのが自衛官募集の看板であります。東京ではなかなか見られない光景でした。
また、マイケル・ムーア『華氏911』を思い出します。経済発展がうまくいっていない米国のフリント地域で、多くの若者が軍にリクルートされ、イラクに派遣されていったのでした。他方で、上下院の議員のうち、子供がイラクに派遣されていたのはほとんどいなかったはずです(たしか1人だけ)。
国家は国民に犠牲を求めるわけですが、犠牲を求められる国民は一部に偏っているのではないでしょうか。
この点を論じないと「国家と犠牲」について考察を尽くしたとは言えないでしょう。日本における経済格差拡大の問題は、多くの議論がなされています。それらの成果を基に論じて欲しかったところであります。
高橋哲哉『靖国問題』
高畠通敏『現代における政治と人間』
高畠通敏『現代における政治と人間』を読みました。
市民政治に関する4つの講義が載っています。
様々な思想家の議論が紹介され、それらが有機的につながって、”現代”が、”政治”が、”人間”が論じられていきます。そして、市民政治を展望しながらも、現状の課題が指摘されています。
あと、近年もてはやされている”政治的リアリズム”や”政策的思考”は、時間・資源・人的能力に制約がある下での、今日明日可能なことについての議論である。そこには長期的な視点が欠けているのではないかという指摘(「政治の<原理>について」)などは決して看過されるべきものではないでしょう。
”政治”についての貴重な講義録。是非一読をオススメいたします。
海老坂武『サルトル- 「人間」の思想の可能性-』
海老坂武『サルトル- 「人間」の思想の可能性-』を読みました。
最近サルトル関連本がいくつか出版されていますが、ついに岩波新書でも出ましたね。
『嘔吐』を青年期の習作との比較で論じていたりする視点はユニークで興味深いです。
機動戦士ガンダムSEED DESTINY
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」というアニメが放映されています。
久しぶりにハマっております。
戦後60年でこのようなアニメが出現したことは、一つの達成であります。
ということで、DVD購入。
早まって第五巻まで予約してしまいました。
しかし、「機動戦士ガンダムSEED」を見てないのです。なので話がよく分からないところがあります。明日あたりDVDを借りてこよう。
季刊前夜 (第1期1号(2004年秋))
やっと半分ぐらいまで読み終えました。本は読み終わってから紹介するようにしているのですが、年を越えそうなので先に紹介しておきます。
NPO前夜の「前夜宣言」には賛同するものでありまして、今後も購読して参ります。