ハンス・ロスリング『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』

ハンス・ロスリング『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』を読みました。

昨年度の市川市民アカデミー講座で更生保護について学んでいて、犯罪数が減っていることは知っていて、思い込み無く生きているつもりでしたが、それ自体が思い込みでした。はじめの質問で大いに間違えてしまいました。よっぽど気をつけて情報に接しないとダメですね。面白くてあっという間に読み終えることができました。

事実に基づいて世界を見たい人に。

今年39冊目。
※図書館で借りた本。

富井真紀『その子の「普通」は普通じゃない: 貧困の連鎖を断ち切るために』

富井真紀『その子の「普通」は普通じゃない: 貧困の連鎖を断ち切るために』を読みました。

貧困、児童虐待・・・著者の経験が語られます。今は貧困の連鎖を断ち切る活動をされていて、それらの紹介もあります。貧困の問題を考える糸口にオススメ。

今年30冊目。
※図書館で借りた本。

鈴木信行『宝くじで1億円当たった人の末路』

鈴木信行『宝くじで1億円当たった人の末路』を読みました。

段々と末路な話ではなくなってきて、あれれと思ったのですが、特定テーマに関する専門家との対談集と考えると良いんですね。
同調圧力に抗するのは非常に良いです。が、テーマの選び方がバラバラで、いまいち私には参考にならないものもありました。

今年78冊目。
※図書館で借りた本。

河合雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』

河合雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』を読みました。

今後の日本の未来の姿がデータと共に示されます。
少子高齢化が進んでいくとどうなるか・・・結構衝撃的です。ぜひ読むべきです。

解決策も記されています。
選択と集中を行い、コンパクトな国造りをしていくべし、っていうところになるかと思います。具体論の実現はなかなか難しそうですが、方向性としてはそうしていくべきだと思いました。

今年74冊目。
※図書館で借りた本。

たっく『必要十分生活』

たっく『必要十分生活』を読みました。

これまた極端ですが、シンプルに生きるために。
いろいろと参考になりました。

今年42冊目。

開高健『ずばり東京』

開高健『ずばり東京』を読みました。
 

 
東京オリンピック前後の東京のルポルタージュです。
無茶苦茶に面白いです。
泉麻人が解説の最後に書いている通りで、過去は美化されがちなんですが、美化されていない、東京のその頃が生臭く伝わってきます。「銀座の裏方さん」というタイトルで当時の銀座の裏方仕事に携わる人々にインタビューしていますが、こういうのは本当に貴重なのではないでしょうか。
 
おすすめ。
 
今年5冊目。
※図書館で借りた本。

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青木省三『ぼくらの中の発達障害』

青木省三『ぼくらの中の発達障害』を読みました。
 

 
発達障害傾向の方との接し方を考える際に参考になりました。
具体的に、具体的に・・・。
 
定型発達と発達障害は、連続したものでありつつ、異質なものでもある。
この考えのもと、両者に対してのメッセージが込められています。
 
オススメ。
 
今年20冊目。
※図書館で借りた本。

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飯島裕子+ビッグイシュー基金『ルポ 若者ホームレス』

飯島裕子+ビッグイシュー基金『ルポ 若者ホームレス』を読みました。
 

 
石田衣良のIWGPシリーズを読んで、ビッグイシューを路上販売員の方から買うようになって、改めて若者ホームレスについてのルポルタージュを読んだ次第。
複合的な要因でホームレスになり、そこから抜け出せない若者たちの姿が見えてきます。
最後の方に出てくるホームレスから脱出しようとした方の事例は、自立が一筋縄ではいかないことを教えてくれます。
 
自立のために”リセットできない大切なもの”をいかに積み重ねていけるかは一つの大きなポイントで、私も何かしらしたいなあと考えています。近々のところでは、ビッグイシューを買い続けることと、地域のホームレス支援活動への協力(会員になる)を始めています。
 
今年17冊目。
※図書館で借りた本。

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マーティン・ハーウィット『拒絶された原爆展―歴史のなかの「エノラ・ゲイ」』

 マーティン・ハーウィット『拒絶された原爆展―歴史のなかの「エノラ・ゲイ」』を読みました。
 
 
 
 中止となった「最終幕」展(原爆展)の経緯を、当時のスミソニアン博物館館長が記録した大著です。
 中止に追い込んでいった空軍協会らが主張する中で出てくるのは「誇り」という言葉です。彼らは、「誇り」を損なうような展示は認められないとします。
 
 私は「誇り」というのが正直よくわからない。「誇り」って何なのでしょうか?
 「誇り」のせいで、今の時点から過去を振り返ることすら、拒絶されてしまったように見えました。本書のあちこちで指摘されているように(例えばp.125-6)、原爆投下については当時も議論がありました。いま批判的に振り返ることは、決して現在から過去を一方的に断罪しているわけではありません。しかし、過去はそもそも現在から振り返られることでこそ存在するものです。過去は現在から再審されてこそ、次代につなげていくことができるもののはずです。仮に、戦争終結を早めるために原爆を投下したのだとしても、原爆投下前に宣言することで、日本に敗北を認めさせるべきだったとかの、ヨリ被害の少ない他の選択肢もあったはずで、そういうのを批判的に振り返って、見つけ出さないと次につながらないと思うのです。過去を生きた人は、現在から批判されることを許容するような、開かれた姿勢こそ求められるのではないでしょうか。
 
 それにしても、歴史認識というものの難しさ、微妙さに改めて気付かされます。
 日本人を救ったというような「正しい戦争」観、真珠湾の攻撃を受けたという「被害」観は認識できても、原爆で多数の人を殺し、未だに苦しめ続けているというような「加害」観は認識するのが困難であるようです。これは米国に限った話ではなく日本もそうでしょう。議論、言論や博物館展示では伝わらないし、共有できないのであれば、アート(音楽、絵画、インスタレーション等)で訴えかけるしかないのかもしれません。
 
 私は次のようなインスタレーションを考えます。
 真ん中に原爆のキノコ雲がもくもくとあって、その上の空をエノラ・ゲイが飛んでいる。旋回して基地に帰るところ。キノコ雲の下の地面では原爆の被害に苦しむ人がいる。他の地面では日本軍による侵略が描かれている。それらの展示物は、透明なプラスチックの壁で丸く囲まれ、壁には日本語や英語、中国語や朝鮮語、ロシア語、色々な言語によって、それぞれの「正しい戦争」観と「被害」観が書かれている・・・。
 ・・・うーん、ダメかな。
 
 あと、スミソニアンは全体的な展示を目指していました。そうではなくて、例えば原爆被害に特化するとかの個別具体的な展示をすることで、観る人達の心を動かしていくしか無いのかもしれません。
 
 最後に気になったのはアカデミズム。
 本書に歴史学者は出てくるが、他の業界の学者は出てこない。特に政治学者、政治思想家たちはこの議論にどのように参加していたのでしょうか。
 
 今年1冊目。

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