柄谷行人『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』を読みました。
国家を内側から解体するのは無理(国家は国家に対して存在するから)という論理でカントに注目して世界共和国への展望を語ります。
カントに至るまで長いのですが、カントに触れてからは短く終わってしまいます。うーん、中途半端な感じ。国際政治のゼミで、カントの「世界平和のために」とか大学の頃に読んで論じていたことを思い出しまた。本書はカントに至るまでがポイントなのかなあ。でもカントは政治学の分野で普通に今でも参照されているわけですし、本書の意義がよくわかりません。
今年25冊目。
市村弘正『「名づけ」の精神史』
市村弘正『「名づけ」の精神史』を読みました。
うーん、さっぱりわからんぞ。
藤田省三?的なのですが・・・。うーん。
今年23冊目。
篠原一『市民の政治学―討議デモクラシーとは何か』
篠原一『市民の政治学―討議デモクラシーとは何か』を読みました。
先日のゼミで使ったテキスト。久々の再読。
今を「第二の近代」とし、いわゆる第一の近代との比較を行う中でその特徴を示し、政治のあり方を探っていきます。
今年15冊目。
ステファン・エセル『怒れ!憤れ!』
ステファン・エセル『怒れ!憤れ!』を読みました。
小さな本ではありますが、強制収容所の絞首刑をギリギリで免れ、戦後に世界人権宣言の起草に携わった人の発言は重い。
表紙がインタビュー記事になっています。
「私に染み付いた歴史観・政治観からすると、保守や右派の勝利はつねに悪いことである。悪と戦うためには、一部のグループが理想主義や共産主義や全体主義に走ったときに、左派が分散したり分裂したりするのが最も危ない。」
私の怒りの対象の一つは、保守派にしよう。
今年2冊目。
永野潤『サルトルの知恵』
永野潤『サルトルの知恵』を読みました。
『図解雑学サルトル』と内容は重なっていると思いますが、新書形式でコンパクトにサルトルの思想を概観できるという意味ではこちらのほうがよいかもしれません。「サルトルはこう考える」の章で、現代の問題をサルトル的に考えたらどうなるかが論じられていますので、本書の方がサルトルをより身近に感じることもできるでしょう。
サルトルを読んだことの無い人にこそオススメです。
今年25冊目。
藤原保信『自由主義の再検討』
藤原保信『自由主義の再検討』を読みました。
久々の再読であります。サンデルを読んだので、政治哲学の復習として読みました。
タイトルにあるように、自由主義について再検討を加え、コミュニタリアニズムに向けた展望を語ります。社会主義についてかなりのページが割かれていますが、もっとリベラリズムとコミュニタリアニズムにページを割いた方がよかったのではないかなあ。
本書についてはサンデルについて書いた記事を参照ください。
さて、最後に一点、議会制民主主義について、藤原保信は以下のように言っています。ニューヨークのウォール街占拠など、直接民主主義の動きが出てきており、それはそれで評価できるものでありますが、議会制民主主義の以下のメリットは忘れてはなりますまい。
「人のコントロールを超えた専制政府は、権力の濫用という点で最悪の政治に転ずる危険性をもつ。この点において、政権交代が可能な複数の政党をもつ議会制民主主義のひとつのメリットは、最悪の政府の出現を回避するということにあるといえる。つまりここでもそれは、最高の政治を実現するものとしてよりも、最悪の政治を阻止するという点にその存在理由があるといえる。」
今年3冊目。
正義についてーサンデル『これからの「正義」の話をしよう』に寄せて
サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読みました。
”JUSTICE What’s The Right Thing to Do?”というタイトルがなんでこんなへんてこな日本語タイトルになるのかよくわかりません。うーん。
大学のころ、「正義論」について学んだことを思い出します。
サンデルは最近注目されていますが、もともと現代政治哲学の分野では、いわゆる「コミュニタリアン」の一員として有名でした。本書中によく「負荷なき自我」という言葉が出てきますが、藤原保信『自由主義の再検討』(岩波書店,1993年)にサンデルの「負荷なき自我」について説明があったりします(p.173-)。
サンデルは、思想・理論を使いつつ、具体的な場面でいかに考えるべきかを論じていきます。欧米の事例がベースではありますが、我々にとってもなじみやすい事例が多く、サンデルやサンデルが紹介する思想家たちと一緒に、読者である我々も考えを進めていくことができます。サンデルが最終的にたどり着くのは、コミュニタリアン的な考え方なのですが、それも押しつけではなく、「こういう場面を考えると、こうした考え方がベストではないか?読者はどう考えるのだ?」と問いかけてくるようです。
サンデルは、善について各人がどう考えるかを表明しあい、議論しあうことでしか正義についての議論も進んでいかないとします。ちなみに「善」とは「個人の正の究極目的にかかわり、『いかに行きるべきか』という問いに対する回答として与えられるもの」(藤原,前掲,p.161)です。サンデルのあの独特な大学の講義も、そうした思想の実践であるのでしょう。「ゼミでやればいいじゃん」と私などは思いますが、昨今のサンデルの取り上げられ方を見ると、講義に対話形式を導入することで社会にインパクトを与え、対話形式で正義や善を考えていくことの重要性を社会に広めることに成功したのではないかと思います。
私としてどう考えるかですが、コミュニタリアン的な考え方の問題点として、「特定の価値観の押しつけ合いにならないのか?」という点が疑問としてあげられます。この点については、対話し議論することで押しつけ合いは回避され、よりより正義にたどり着く、というのが答えなのかもしれません。しかしこのような対話はどのように成立するものなのでしょうか。サンデルは例として挙げてないですが、たとえばイスラエルの問題。ユダヤ人とパレスチナ人との間にどのような対話が成り立つのでしょうか。こういうところにおいては、善の問題はそれぞれの民族に任せておいて、ロールズの正義の原理などを使って(この場合は聖地に対する「公正な機会均等原理」でしょうか)、ともに生活することができる権利と義務をまとめていくしかないのではないか、と考えます。
善を考える上で前提となる「善の原理」みたいなものが必要で、それを考えるためにはいったん善をおいておいて、原理的にルールを考えるというリベラリズムの手法が必要なのではないでしょうか。そういう風に考えると、リベラリズムの原理を土台として善について対話を重ねる、というのがよいのではないかと思います。
で、そんなリベラリズムの原理とは何か?
ずばり「寛容(tolerance)」でしょう。
これこそ原理ではないでしょうか。異文化、他者に対する寛容なくては対話議論も始まらないのです。
今年2冊目。
トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで――これからの「社会民主主義」を語ろう 』
トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで――これからの「社会民主主義」を語ろう 』を読みました。
タイトルは「これからの」とありますが、内容的には欧米の現代史を振り返って、かつての社会民主主義的合意(福祉を大事にするとか)を思い出そう、というような議論の進め方になっています。
文章的には語り口調になっているので読みやすい。
新自由主義に批判的な方にオススメ。
今年103冊目。
むのたけじ『希望は絶望のど真ん中に』
むのたけじ『希望は絶望のど真ん中に』を読みました。
戦争中/敗戦直後の日本のメディアについて語られているところ(朝日新聞社辞めるところ)は迫力あります。
その部分だけでも読む価値ありです。
今年98冊目。
鶴見俊輔『ひとが生まれる』
鶴見俊輔『ひとが生まれる』を読みました。
中浜万次郎、田中正造、横田英子、金子ふみ子、林ただ夫の5人の伝記です。
社会の中でどう生きるか。5人それぞれの道のりが記されています。
この本を薦める人が多かったのですが、その理由がわかりました。もっと若い頃に読めば良かったかも。
オススメ。
今年64冊目。